くつろぎながら

くつろいで、今に君臨して、意図して、創造する

食べたい気持ちを我慢できなかった理由

 

茶店トーストはおいしい

今日はなんだかトーストがいきなり食べたくなった。

分厚いやつ。

 

おいしいよねぇ。

半分で十分なくらい、ふっかふかで。

こんがりとした焼き目に、バターがたっぷり染み込んで。

一口食べると、サクッとした歯応えと、じんわりバター

そしてふわっふわ。

ミルクたっぷりのコーヒーで、また違う香ばしさを感じたら、

もう一口。

コメダ珈琲

 

いつもと違う選択

いつもだったら、トーストが思い浮かんだ後、

「食べたいんだし、叶えてあげなきゃ!」ってなってた。

たとえ時間がギリギリでも、なんとかできる方法がないか、考えてみる。

なんとかして、行くこともできそうだけど、バタバタになるしなぁと悩みつつも、

頑張って行って、食べて。

やり切った感はありつつ、ちょっと疲れる、みたいなことが

けっこうあった気がする。

 

だけど、今月はテーマの一つに

がっかりする

があって、できるだけ、普段と違う選択をしようと決めてた。

 

だから、我慢というか、ちょっと無理したらいけそうなんだけど、

家に戻った。

思いついたものを、食べられなかったんだし、そらがっかりもする。

まぁでも、がっかりしてみる実験中だもんなぁ。

 

違う選択がむしろありでした

そしたら、いつもより余裕があって、

なんならちょっと掃除機もかけたりなんかしちゃったりして。

まず、余力が生まれた。

いつもギリギリで生きすぎだよ、わたしw

そんなコーナーまで攻め切るやり方じゃなくて良いんだよ。

いつも少し無理して、叶えてあげてたんだなぁって気づいた。

 

大事にしたかったのはこっちだった

せっかくなので、もう一段階、深く観てみた。

 

たとえ時間がギリギリでも、なんとかできる方法がないか、考えてみる。

なんとかして、行くこともできそうだけど、バタバタになるしなぁと悩みつつも、頑張って行って、食べて。

普段こうやって慌てて願いを叶えている最中、

一見やさしそうな自分の心の中で、何が起こってたかというと、

「ほら、あなたがやりたいことやってあげたんだから、がんばりなよ」

って正論叩きつけられてた。

(つらーーー)

 

というか、

「食べたいんだ〜 いいよね〜 おいしいもんね〜」

みたいな、行動につながらない受け止めは、悪だとすら思ってた。

 

だけど、それって、ほんとかな…?

 

  • 結果主義、ゴールにたどり着くためのルートを探す
  • 見守り主義、まずは受け止める&共感する

どちらも本質的には同じことで、

結局私は、自分に

思いっきりやりたいことを宣言するのを制限していただけだったみたい。

 

「食べたい!食べたい!食べたい!」

って、実は言うだけで満たされることもある気がする。

それって「食べたい」じゃなくて、

「今感じたことを、全力で表現したい」というハートからの声。

 

だから、食べたいことも、やりたいことも、

実行するかどうかは別として、

今、この瞬間、思いっきり表現させてあげよう。

感じ切ってみよう。

 

そうしたら、はじめて

本物の食欲かがどうか、がわかるところに辿り着ける気がする。

 

ちなみに、今日の私は、

「分厚いトーストのおいしさを語りたい」だった。

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すぐ何かにならなないとダメなんて、誰も言ってない。

早とちりせずに、耳を傾けてあげよう。

自分だけのリズムをとりにいこう。

 

 

イマココ主義。

大丈夫。わたしはもっと、細やかに寄り添える。